東京クルマ旅 その1

 昨年は毎月のように東京に行っていたのですが、今年はコロナでそうもいかず、年3回くらいになりそうです。

 

で、久々に東京へ出かけました。

 

朝9時に宝塚の自宅をスタートし、夕方の5時に東京のホテルに着きました。

 

いつもは到着したころは暗くなっているのですが、今回は珍しく明るいうちにホテルに入ることができました。

 

今までは東京付近で必ず渋滞があったのですが、今回はコロナのおかげでスイスイと走ることができました。

 

今回の東京滞在の目的の一つに、漢方のコンサルタントを受けるというのがあります。

 

漢方医と面談し、自分に一番適した漢方の調合をしてもらい、あとで3ヶ月分を送ってもらうのです。

 

漢方の薬代以外に、相談料だけで1万円かかるのですが、こちらも納得だし、その方が何となく「権威っぽく」ていいかもしれません。

 

別の所でアロマトリートメントも体験しました。

 

本を書く作業で肩が相当こっていたようで、施術中ゴリゴリと音がするような感じでした。

 

東京へ行ったときの定番(もしくは定点観測)である、銀座のユニクロも訪れましたが、客足はまずまず戻っているように思いました。

 

インバウンドの時は中国人を始めとした外国人でいっぱいで、大袈裟でなく店内で動きが取れない状態でした。

 

銀座のユニクロはお客さんだけでなく店員の国際色も豊かで、白人や黒人や、スカーフで顔を覆ったマレーシア系の女性などが、ごく当たり前に接客しています。

 

今回も普通の若い日本人だと思っていたお客さんが、実は日本語が話せず、スマホを取り出して、黒人の店員に商品のことを聞いている姿などを見ていると、一体ここはどこの国かと不思議な気持ちになりました。

ホテルロビーのフラワー・アレンジメント

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叙々苑銀座コリドー店。

アルコールはコロナ規制で飲めませんでした。

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ホテルでの充実のルームサービス

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最高の投資

世の中には“さまざま”な投資があるのですが、一番リターン率が高いのが自分への投資ではないかと思います。

 

自分への投資と言っても色々あり、健康や教養や学歴や資格や、はたまた美容やファッションといったものもあります。

 

健康というのは、それ自体が目的であり、また手段でもあります。

 

若い頃は好き放題していても少々のムリはきくのですが、42歳の厄年以降は一挙にムリが体調不良や病気となって顕在化します。

 

私は健康に関する本を見かけたらすべて読むようにしています。

 

中には内容がお粗末なものもあるし、言っていることが本によって真逆なことも少なくありません。

 

また医者は病気の専門家であるかもしれないけれど、健康の専門家ではないこともわかってきました。

 

しかしながら「健康本」を読み続けているうちに、実際に健康になっていくことも発見したのです。

 

今までの人生の中で一番体調がいいし、ついでに言うと頭も過去最高です(以前が悪すぎたという説もあるのですが)。 

 

「ヨコ勉」を活用して、今まで読む気にもならなかった、不動産に関する難しい本を次々と読破していっています。

 

このまま元気で長生きすることが、時間効率を上げる最高の方法であることに、最近気がついたという次第です。

 

中国語の断捨離 その2

ここ5年ほど、4外国語を並行して勉強していたのですが、あまりの忙しさに中国語をいったん中止することにしました。

 

また復活するかもしれず、しないかもしれません。

 

身勝手な中国の動きを見ていると、途端に学習意欲が萎えることが今までもあったのですが、中国の体制が変わった頃にまた始めだすかもしれません。

 

106歳まで生きた男性で、80代から韓国語と中国語を勉強し始め、それぞれの国で、それぞれの言語で講演をした人がいます。

 

私はこの人に相当影響を受けました。

 

中国語を中断する決心をしたのですが、この時一番引っかかったのが「5年間も勉強してきて、ここで放棄してはモッタイない」という気持ちでした。

 

最近も膨大な費用と時間をかけてジェット機の開発に着手したものの、結局中止したという例があります。

 

私の中国語放棄とはスケールが違い過ぎるのですが、基本的には同じメンタリティーです。

 

で、中国語を中断する決心をしてどうだったかと言うと、随分とスッキリしたのです。

 

あまりに忙しくなりすぎたので中国語をギブアップしたのですが、もう少し時間的に余裕が出てきたとしても、その分、中国語ではなく英語に注力していくような気がしています。

 

中国語をいくら勉強しても、その活用のシーンがあまり見えなかったのですが、英語ならいくら勉強してもムダになるということがありません。

 

書斎に20数冊置いていた中国語学習の未読本を、地下の書庫に移動させました。

 

もう迷いがなくなり、次のステップに向かってやる気満々です。

 

ごちそうさまでした。

ちょっとした誕生日祝いに、ホテルでランチをいただきました。

 

もとよりお酒を飲むつもりはなかったのですが、アルコール類は提供できないということでした。

 

お酒とコロナとは何の関係もないと思うし、もしそうならタバコの販売を中止する方が余程効果があるように思います(喫煙者はコロナ重症化の危険性が10倍あるとのアメリカの論文もあります)。

 

夜は8時までの営業ということになっているのですが、せめて9時にすれば、どれだけ飲食業の人たちは助かるかと思うのです。

 

8時と9時ではコロナへの影響が何パーセント違ってくるのかの科学的根拠は示されていません。

 

誰かが思いつきで考えたものが、世の中に「正義」として定着していき、そこから外れたものを「異端」として排除していくのは、中世の魔女狩りと同じメンタリティ―で、とても怖い気がしています。

 

と、まあ、難しいことは言わず、おいしい料理を楽しませていただきました。

リッツカールトン大阪「香桃」

 

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中国語の断捨離

コインパーキングはいくつか実際に運営してきているので、どういった場所に出すと、どれぐらいの売上が上がるのかが大体わかるようになりました。

 

が、新規で始めようとするコインランドリーについては、まったく見当がつきません。

 

そこでフランチャイズ本部にお願いして、既存のコインランドリーの繁盛店を教えてもらいました。

 

ただし関西のコインランドリーはあまりなく、視察に行こうとすると、ほとんどが1泊以上しなければならない場所ばかりです。

 

スケジュールの合間を見ながら、ポツポツ回って行こうと思っています。

 

それとは別に、神社の本を今年中に出したいと思っています。

 

すでに半分以上の原稿を書いたのですが、あとの半分を埋めるために、神社巡りもしていかなければなりません。

 

そうするとコインランドリー巡りと神社巡りとで、今年のスケジュールがパンパンに埋まってきました。

 

私は「やるべきこと」を「多読」と「語学」と「投資」の3つに絞ったのですが、コインランドリー巡りと神社巡りは、そのうちの「投資」に分類されます。

 

これらは仕事なので最優先になるのですが、時間が切迫してくると一番犠牲になるのが「語学」なのです。

 

いま英語とドイツ語とフランス語と中国語を勉強しているのですが、このうち中国語を断捨離することにしました。

 

中国語のいい先生も見つけていたので、苦渋の決断でした。

 

以前から、マナーの悪い中国人団体客や、身勝手な中国共産党のことを思い浮かべると、途端に学習意欲が減退する状況だったので、学習中断は時間の問題だったかもしれません。

 

で、どうなったかというと、気持ち的には非常にスッキリし、次へのモチベーションにつながっています。

 

勉強でも時には「損切り」というのが必要なのですね。

 

妄想と勘違い

人生に勝利するためには、真面目に努力していくのは当然のことで、勤勉でない人が成功を収める可能性は限りなくゼロに近いはずです。

 

が、どうも勤勉だけではなく「妄想と勘違い」というのも極めて重要な要素であることが最近わかってきました。

 

夢というよりも、ほとんど妄想といってもいいようなものを、成功者は持っていることが多いのです。

 

暴走族ならぬ「妄想族」です。

 

今の努力の積み重ねの末に成功が待っているというよりも、「なりたい自分」を妄想し、その妄想先から今を眺めてみるのも悪くないのかもしれません。

 

「未来の一番いい自分を思い出そう!」と言った人がいるのですが、未来に夢は既に実現していると勘違いすればいいのです。

 

また、案外それは勘違いではないかもしれません。

 

今の自分が勘違いすると、潜在意識も「ああそうだった」と勘違いし、勝手に未来から成功した姿を引き出してくれるというわけです。

 

夢を過去形で言い切ってみるというのは、精神世界での重要なポイントでもあるのですが、夢が既に実現してしまっている自分をアッサリと受け入れる素直さも大事だと思うのです。

 

勘違いはウソではなく、実現してしまっていたらウソでも何でもありません。

 

パラレルワールドという考え方があり、最高にうまくいっている人生から最低の人生まで、いくつもの人生が同時並行して進んでいるというのです。

 

もしそうなら、遠慮なく最高の人生を選べばいいわけです。

 

自分の人生の脚本家は、まさに自分であって、自分の好きなように描けばいいだけだと思うのです。

 

経営と宗教心

ずいぶん昔になりますが、テレビで「日本の社長」という番組がありました。

 

当時、私は水曜日が定休日で、毎週その番組を見ることができました。

 

宮尾すすむというタレントが、日本各地の成功した社長を取材していくというもので、なかなか面白かったのです。

 

宮尾すすむ氏いわく「長く成功を続けている社長に共通していることがあった。それは自宅に仏壇か神棚があるということ」とのことでした。

 

私もサラリーマン時代はあまり気にしなかったのですが、会社経営をしだすようになってからは「自分を超えるもの」の存在を強く意識するようになりました。

 

会社経営などをしていると、災難や「まさか」が不定期にやってくるのです。

 

それらは自分ではコントロール不能でした。

 

また自分の才能や努力を超える「運」のようなものがあり、それらはどう考えても神様の分野であることだけはハッキリしていました。

 

かといって、それがすぐに神社参拝に結びついたわけでもなく、日本の神々とのご縁はずっと後のことです。

 

神縁は自分でゲットできるものではなく「与えられるもの」だということもよくわかりました。

 

大向こうを唸らせる、勢いのある経営者をたまに見かけますが、その人がいつまでも大成功を続けられるかどうかはまた別問題です。

 

その人が松下幸之助本田宗一郎のようなホンモノの経営者になるか否かの分岐点は、宗教心を持っているかどうかではないかと私には感じられるのです。