読書が一番

自ずとその人に合った「本の読み方」というのがあり、それが精読であろうと、速読であろうと、多読であろうと、何でもいいと思うのです。

本の著者の中には「本の読み方はこうでなくてはならない」などと蘊蓄(うんちく)を述べる人がいますが、そんなのはどちらでもいいことであって「余計なお世話」だという気がします。

要は本を読めば、必ずプラスになることがあるというだけの話なのです。

私自身、今まで数十冊の「速読」の本を読んできたのですが、1冊として感銘を受けたり、納得したりする本はありませんでした。

本の読み方は、自分で工夫し、開発していくのが一番です。

あまりに忙しいと本を読む暇がありません。

経団連のような経済界のトップに君臨する人たちでも、経済的に変なことを言うことがあり(例えば消費税増税推進)、私はそれがなぜだかサッパリ分からなかったのですが、要は本を読む時間がなく、物事の本質が見えていないからだと、最近になって分かってきました。

もともと経済に疎(うと)い人が多い政治家の場合は、それがもっと酷(ひど)くなるのは仕方がないのかもしれません。

知人の国会議員でも1冊も本を読んでいないのを知っています。

隙間の時間を活用して本を読むという手もあるのですが、やはりわざわざ「読書時間」を作るというのが知的生活の王道だと思います。

24時間の限られた時間なので、自分が最も大切にしたいことに最大限の時間を割(さ)いていきたいものです。

私の場合は、仕事と読書と語学と掃除とが、時間を奪い合う競合関係にあります。

旅行の時を除いて、すべて「1日も休まず」に行っているのですが、やっぱり読書が自分にとってのプライオリティー・ナンバーワンのような気がします。

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次の旅のイメージ

欧米への一人旅は、楽しみというよりは、むしろ修行のような感じでした。

修行なので、行く前と比べると、行った後は明らかに成長している自分がいました。

最初は本当に旅の要領が分からなくてドギマギの連続でした。

例えば飛行機に出発地で預けたスーツケースは、途中乗り換えがあったとしても、目的地にまで運んでもらえるなんてことが分からなくて、トランジットの空港で自分の荷物が出て来るのを「今か今か」と待っていたりしました(そして出て来ないのでドギマキするわけです)。

ヨーロッパへの一人旅を計画し、飛行機やホテルの予約も取っているにもかかわらず、自分の中で段々とプレッシャーが大きくなり、「何かハプニングがあり、この旅行がキャンセルにならないだろうか」などと思っていたこともあります。

同じ一人旅でもアジアへ行く場合は非常に気が楽です。

欧米は時間もかかるし、昼夜逆転するし、白人の中に1人放り込まれるといった気負いもあるのかもしれません。

最近は海外への一人旅は、気持ち的にちょっとシンドクなってきて、行くなら孫も含めたファミリーで行きたいという気持ちが強くなってきました。

観光バス1台を借り切って、ヨーロッパの街を旅するというのも、近い将来の目標として、潜在意識にそのイメージをインプットさせたいと思います。

いずれにせよ、ここしばらくは(コロナで)海外旅行が行けないかもしれませんが、次の旅のイメージができたので、その間、せっせと語学力を磨き、お金も貯めておこうと思います。

ということで、国内の「神たび、クルマ旅」に意識を集中させていきます。

来年から水曜、木曜を(私自身の)連休にするので、それを活用し、国内の神社、史跡、博物館を巡っていきたいと思っています。

今からワクワクです。

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少食が運命を好転させる

水野南北は江戸時代の観相学の大家(たいか)です。

若い頃は乱暴者で、それが原因で牢にも入っています。

牢から出たあと、人相見から死相が出ていることを指摘されました。

運命を変えたいがため、寺で修行しようと思い立ちますが「1年間特定の穀物だけの食事を守ることができれば出家を認める」と言われ、実際に1年間、決められた食生活を守り切ると、死相が消えただけでなく、運命が好転したことを実感しました。

観想学に興味を持った水野南北は、床屋で見習いをし、人相と運命の相関性を研究しました。

研究はそれに留まらず、風呂屋での三助や、火葬場での勤務で、骨相学を深めて行きました。

水野南北の教えを一言で言うと「少食が運命を好転させる」ということです。

若い頃の大食漢は一種のご愛敬で、スポーツでも「よく食べる人は強い」のですが、年齢を重ねるにつれ、やはり食べる量を減らしていくというのが自然の摂理なのかもしれません。

私自身の経験でも、1日2食にし、1食を少なめにしてから、明らかに体調が良くなりました。

仕事が途轍(とてつ)もなくできる人たちの中には「1日1食」という人が少なからずいることを実際に知っているのですが、これはいまだに真似できていません。

少食だと胃腸に負担がかかりません。

免疫力の多くは腸がつくり出すようなので、それだけでも病気にかかりにくくなります。

「食」というのは、他の生物の「命」をいただくということでもあり、必要以上に貪(むさぼ)り食うのは(霊的な深い意味でも)慎むべきことなのでしょう。

人生はマラソンレースなので、一時に馬鹿力を出してしまうと後が続かなくなります。

従って「食」だけでなく、どんなことでも「貪り食う」のは、どうも運気を逃がしてしまう行為のようなのです。

倦(う)まず弛(たゆ)まず、細く長く続けて行くことが、成功人生のコツなのかもしれません。

 

 

 

この手を打とうよ!

1902年に日英同盟が締結されました。

当時のイギリスは世界一の国で「栄光ある孤立」を捨ててまで、アジアの小さな一国に過ぎない日本と同盟を結んだのです。

日英同盟が日本にもたらしたメリットは計り知れず、一番顕著な例は1904年の日露戦争に勝利したことです。

ところが1923年に日英同盟が破棄されると、日本は坂道を転がるが如く破滅への道を突き進むことになりました。

岡崎久彦という外交官(故人)が、当時の日本の針路をいろいろとシミュレーションしたのですが、日英同盟がある間は日本を別の道に歩ませることができたけれども、日英同盟が破棄されたあとは、どんな手を打とうとも敗戦しか見えてこなかったそうです。

従って日英同盟を失ったことは、日本にとって痛恨の極みであったのですが、一方のイギリスだって、破棄以降ガタガタになったのも歴史の事実です。

ここでもう一度、日英同盟を復活させるのは日英双方にとってメリットがあり、極めて有効な一手ではないかと思うのです。

日英同盟にはアメリカだって反対できません。

1989年に消費税が導入されました。

世界一輝いていた日本経済が、それ以降、急激に具合が悪くなっていきました。

「失われた20年」の間、会社も人々も非常に苦しい思いをし、GDPだって中国に抜かれてしまいました。

少し経済が回復して来た頃に再び消費税率を上げ、また経済を悪くするという繰り返しでした。

ならばこの際(コロナのドサクサにまぎれて)消費税をもう一度ゼロにしてみればいいのではないかと思うのです。

そうなれば日本経済大復活だと私は睨んでいます。

日経平均だって今の倍になるはずです。

 

 

 

 

掃除をして神さまに来ていただく

心が乱れると、服装が乱れてきます。

逆に服装を整えると心が整います。

同じように、心が乱れると家の中やクルマの中が乱雑になってきます。

整った心でも、乱雑な空間の中にいると、やっぱり乱れてくるのです。

反対にキレイな空間には、乱れた心の人は入ってきにくいのです。

茶道は決められた手順で茶碗や道具を動かしていきます。

お手前(てまえ)では、それらを置く場所もキチンと決まっていて、勝手に変えることは許さません。

知人で学生時代に茶道部だった人(男性)がいます。

「若気の至り」で、千利休以来の定型化した茶道を変えてみようと、いろいろと試行錯誤したのですが、結局、決まったとおりに道具を動かしたり、置いたりしていくのが、一番合理的だったそうです。

というか、決まった場所に決まった物を置くしか方法がなかったとのこと。

掃除をすると、いい空間ができ、運気が上昇します。

バブルが崩壊し、我が人生最悪だった38歳の時に鍵山秀三郎先生と出会い、それから30年間、掃除をし続けてきました。

鍵山流掃除は10分や20分で終わるようなものではなく、2時間くらいかかります。

掃除の心境もさまざまに変化してきたのですが、今は「掃除は神事だ」に落ち着いています。

片づけとも関係があるのですが、床にモノが置かれている率が低いほど、富裕層になる確率が高くなります。

要は床に極力モノを置かないというのが正解です。

玄関をキレイにしておかないと、福の神が入ってきてくれません。

不思議なことに、トイレを磨くとお金持ちになります。

今までも何となくそんな気がしていたのですが、トイレの神様は実は「財の神」だったのですね。

 

 

 

反省から繁栄へ

28歳の時から商売を始め、もうすぐ40年目に入ります。

「あのとき、こうすればよかった」とか「あれが失敗の原因だった」とかいう反省は山ほどあるのですが、もう今となってはどうしようもありません。

一番悪かったのは、ちょっと成功しただけなのに天狗になり、謙虚さを失ったことです。

バブルとバブル崩壊の両方を経験したのも、今となっては「貴重な体験」でよかったかもしれません。

基本的には街の不動産屋だったのですが、そんな業態でも結構いろんな種類の事業があるのです。

売買仲介、買取り転売、土地分譲、住宅建売、賃貸仲介、賃貸管理、駐車場管理等々です。

売買仲介ひとつとっても、一般住宅と収益物件とでは、販路も顧客も全然違うのです。

当社は売買仲介から始めたのですが、一つ一つ自分が興味あるビジネスを増やしていきました。

すると興味を持って一生懸命やる新しいビジネスの方は伸びていくのですが、手を抜いたの既存のビジネスは売上が減少していくのです。

人の問題にもずっと頭を悩まされてきました。

「会社は大きくしなければならない」という思い込みも、今となっては間違いだったと分かるのですが、若い頃は会社が大きくなっていかないと“やっぱり”働いていて面白くないのです。

こうして40年間、大きくもならず、倒産もせずにやって来たというわけです。

ここ5年ほどの間に「身の程を知った」小さな会社にし、人手のかからないストックビジネスに移行し、無借金であることも相まって、今ようやく一息ついているところです。

注力すべきは売上でもなく利益でもなく、税引き後のキャッシュフローだということにも、最近やっと気がつきました。

少しは知恵がついたところで、あと30年間頑張っていく所存であります。

 

 

 

クルマ旅

この年になって、これほどクルマが好きになるとは思いもしませんでした。

若い頃は、どちらか言うとクルマが嫌いだったのです。

従ってクルマで旅をするなんてことは、考えたこともありませんでした。

仕事では軽自動車を使っていて、地元密着型ビジネスだったので、宝塚の道は細かいところまで相当知っています。

最近になって何故クルマ旅が多くなったのかを考えると、いくつかの要因があります。

まずはナビが発達したこと。

最初に目的地をナビに設定すると、到着時間まで表示され、問題なく現地に行くことができます。

近い将来の自動運転車だと、ボタン一つで(ハンドル操作もなしに)気がついたら目的地だったということが普通に起こると思います。

「車勉」を始めたのもよかったのです。

本とはまた違った勉強ができます。

荷物がいっぱい入るSUV車を購入も、クルマ旅を強く後押してくれました。

毎回、新幹線や飛行機だと到底ムリなほどの荷物を持って行きます。

また後部座席がフラットなので、そこで横になって寝ることができます。

気ままな旅のため、私のクルマは定員1名です。

幸か不幸か、今はコロナのため海外旅行ができません。

そのため国内のクルマ旅に意識を集中でき、これも「コロナ・メリット」の一つです。

海外旅行は若い頃から散々してきて、今まで111回を数えます。

将来はヨーロッパでの自動運転車の旅を考えていたのですが、子供たちの家族も一緒に、ファミリー(一族)でバスを借り切って街や観光地を移動していくのもアリかもしれないと、先日閃(ひらめ)きました。