伊勢志摩方面小旅行

毎月伊勢神宮を訪問しているのですが、参拝に忙しく、伊勢神宮ミュージアムに足を運ぶ余裕がほとんどありませんでした。

そこで参拝とは別にミュージアム巡りをすることにしました。

伊勢神宮外宮(げくう)にある「せんぐう館」は式年遷宮をテーマにした、なかなか見どころのあるミュージアムで、私は今まで5回ほど行きました。

ところが2年ほど前の台風の被害で1年間ほど休館、そして今回のコロナでまたもや休館となっていました。

先日、やっと再開したので、ここぞとばかりに行ってきたという次第です。

私のような「神道オタク」にとっては、毎回発見があり、興味が尽きず、今後もチョクチョク行ってみたいと思っています。

外宮と内宮の間に「神宮徴古館」、「神宮農業館」、そして「神宮美術館」があり、そこにも行ってきました。

地味ですが意外に面白く、神道オタクにはお薦めです。

ミュージアムには人が少なかったのですが、内宮などは完全に人出が戻っており、とてもうれしかったのであります。

宿泊は伊勢神宮の近くのホテルではなく、少し足を延ばして志摩観光ホテルに泊まりました。

サミットでも使われたホテル内のレストランで食事をしたのですが、たぶん世界一のレストランではないかと思います。

有名な女性シェフとも写真を撮ることができ、これまたうれしかったのです。

ホテルの部屋からは英虞湾が見渡せるのですが、早朝テラスに出ると森から小鳥や鶯の鳴き声がして心癒されました。

次の日は松坂にある「本居宣長記念館」に立ち寄りました。

松坂は初めて訪れたのですが、平地が続き、松阪牛だけではないユニークさを感じました。

かつては蒲生氏郷(がもう・うじさと)が治め、江戸や京都に店を出す大商人の本拠地でもあったようです(こういうことも現地へ行って初めて知りました)。

本居宣長がいなければ古事記復活はあり得なかったのですが、几帳面な字でびっしり書かれた書面には驚かされました。

本居宣長(もとおり・のりなが)が師匠の賀茂真淵(かもの・まぶち)と出会って話したのはわずか一晩だけ(あとは手紙でのやり取りとなりました)。

また余談ですが平田篤胤(ひらた・あつたね)は、没後の本居宣長の夢を見て、その弟子となっています(だから1度も会っていません)。

志摩観光ホテルのテラスから、朝5時前にパチリ。

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同じく朝7時ごろの同じ風景。

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「リタイア」を経済的自立と捉える

できるだけ早いうちにリタイアし、南の島でユックリするという考え方があります。

アメリカ人などはどうもその考え方が強いようで、猛烈に働いてお金を貯めたあと、ぷっつりと現役を引退するのが一種の理想のようです。

そういう考え方はエリートだけかと思っていたら、かつては工場労働者でも高校を卒業し、地元の工場で30年ほど働いたあと、50歳前にリタイアした(できた)人が多かったことを本で読んで知りました。

アダムとイブは禁断の木の実を食べたために「罰として」働かなくてはならないようになったのですが、わが国では天照大神(アマテラスおおみかみ)ご自身が機(はた)を織って働いておられるのです。

「労働は罰」だというのと「労働は尊い」というのとでは、仕事への価値観が180度違ってきます。

しかしながら、いつまでも生活のために働かなければならないのは苦痛です。

「リタイア」を経済的自立と捉(とらえ)えたいと思うのです。

ならばリタイアして働かないのではなく、「リタイア」して好きな仕事を存分に楽しみたいわけです。

南の島でユックリしたり、ゴルフ三昧に耽(ふけ)ったりするのも悪くはないかもしれませんが、ある程度堪能したら“やっぱり”飽きると思うのです。

そこが天職との違い。

遊びばかりでは魂が停滞し、成長しません。

天職の境地に入ると、遊びも仕事も一緒くたになり、どこまでが遊びで、どこまでが仕事かが分からなくなってしまいます。

それでいてずっと楽しいわけです。

成功している会社やお店の経営者や店主には「仕事が趣味」という人が実に多いのですが、それがもう少し高いレベルに達すると天職になってしまうのでしょう。

いずれにせよお金のことを心配をせずに、好きなだけ働ける状態に早くしたいものです。

 

伊勢志摩観光ホテル

景色も料理も最高のご馳走で、まさに「感動するホテル」でした。

ホテルのテラスからの英虞(あご)湾。

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サミットが行われたホテルでもあるのですが、たまたまイギリスの首相と同じ部屋に宿泊しました。

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サミットでの写真。

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で、同じ場所に立ってパチリ。

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「ラ・メール」での食事。

ワタシ的には世界一のレストランだと思います。

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アワビのステーキ。

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食事の間、外の景色が刻々と変化していきます。

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伊勢エビのクリームスープ。 サミットでも大絶賛だったそうです。

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ここでワインを飲まない選択はないと思い、ワイン解禁。

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ついでに朝食の写真も。

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読書と語学

高校1年生の時から本を読みだし、以降、読書の習慣が途切れたことはありません。

しかしながら本気で本を読み始めたのは、こ10年ほどのことです。

年1,000冊読むには、月84冊読めばよく、長い間そのペースを維持してきました。

しかしもう少し読めるのではないかと、ちょっとずつ冊数を増やしていき、今は月200冊を読破しています。

読書だけしているならそれ以上読めそうな気もするのですが、そうすると語学を勉強する時間が無くなってきます。

私は現役の経営者でもあるので、多少は仕事もしなければいけません。

最近は「比較的難しい本」を「わかっても、わからなくても」読み進めていく「ヨコ勉」が身についてきました。

そうすると今まで手づかずになっていた分野が開拓できるようにもなったのです。

大袈裟に言えば「人生を変える読み方」に出会ったと感じています。

「神たび」もしくは「クルマ旅」に出かけると、必ず学ぶことがあるのですが、あまり行く回数を増やすと「多読」や「語学」の時間が取れなくなってしまいます。

このへんのバランスが“なかなか”難しいのです。

が、人生が短いことだけは間違いがなく、神さまから与えられた時間をムダなく有意義に使っていきたいと考えています。

私は63歳の時にフランス語を、64歳の時に中国語を始めました。

両言語とも「発音だけはうまい」と先生から誉められます(発音だけ?)。

デグチメソッドの教えの中に「自分の頭の悪さにイチイチ落ち込んでいるほど人生は長くない」というのがあり、この言葉に幾度救われたことでしょう。

フランス語、中国語に加え、英語とドイツ語と日本語をプラスした「5か国語ペラペラ」を近い将来の自分の「売り」にしたいと考えています。

 

世の中がどう変わるのか?

今は営業の第一線でバタバタと働いているということはなく「考える」ことが主な仕事です。

投資がメインの事業になってきており、ならば世の中のこれからの動きを考えなければいけないわけです。

東京や大阪の街を観察に行くこともあります。

東京はともかく大阪の街も、半年ほど行かない間にゴロリと様相が変化しており、知らぬ間に超大型ビルや超高層マンションが建っていたりします。

私の投資法は、短期ですぐにリターンを求めるようなことはしないのですが、それだけに世界や世の中の動きの、長期的展望を持っておかなければいけないわけです。

例えば自分自身の考え抜いた「相場観」を持たずに株式投資を行おうとするのは、武装もせずに戦場に飛び込むようなものです。

コツコツと収益不動産を増やし、それらの不動産を手をかけて育てていく方法は、今のところ成功しています。

逆に預金代わりに、毎月一定額を株に投資してきた方法は、今のところ大失敗しています。

株式投資は余裕資金で行わないと、もし生活費や会社の運転資金などで行っていたり、借入れまでして行っていたりしたら、経済活動から即退場となり、まともな生活すらできなくなる可能性があります。

不動産投資だって、インバウンド用のホテルや民泊に資金を投入していたなら、今頃はブログを書いている余裕すらないはずです。

「やること」を考えることは大切ですが、最初に「やらないこと」を決めておくことはもっと大事なことだと思います。

先日、商売の天才のような人の本を読んでいたら、わざわざ高級ホテルに泊まり、その「非日常」の空間で徹底的に考え抜くということが書いてありました。

私も同じようなことをすることがあり、それを読んでちょっと安心しました。

 

体の劣化と頭の進化

95歳までバリバリの現役で働くつもりですが、その時に見かけまで95歳のヨボヨボではアカンわけです。

やはり70歳代の前半に見えないとダメだし、またそうすれば自ずと中身も若返るはずです。

そうするとそれから逆算して、67歳の今も50歳代半ばに見えないといかんということになります。

体型をスリムにしたり、オシャレな服装にしたりすると5歳若く見えたり、姿勢をよくしたり、ヘアスタイルに気をつけたりすると、それぞれ3歳ずつ若くなったりします。

それらの合計で10歳以上若くすれば何とかなるのではないかという作戦です。

体が年齢とともに劣化していくのは仕方がありません。

が、建物と一緒で、常にメンテナンスしたり、必要に応じて大規模修繕したりしていくと、いつまでも丈夫でキレイなわけです。

むしろ手入れの行き届いた古い建物は、落ち着いた雰囲気を醸(かも)し出し、独特のオーラを放ちます。

上手に年齢を重ねていくことは、とても大切なことだと思うのです。

また、こと「体調」だけに焦点を合わせるならば、若い時よりもコントロールが効きやすく、年々良くなっていくということすらあるのです(現に私がそうです)。

体調がいいと、いい仕事ができます。

体調管理はプロの基本中の基本でもあります。

体の劣化に上手く対応していくというのが正解ですが、頭の方は劣化のことなど考えなくてもよく(トレーニングを続けていくなら)間違いなく年々進化していきます。

私のトレーニング法は、趣味も兼ねて「多読」と「語学」ですが、どちらも楽しく頭を使うことができます。

「頭はドンドン良くなるしかない」というのは実感でもあります。

勤勉を楽しむ

人生勝利への道は「勤勉を楽しむ」に尽きるのではないかと思うのです。

自分の人生を振り返ってみても、勤勉である時は幸せで、結構何もかもがうまくいっていたように思います。

あるいは少々具合が悪いことがあっても、勤勉がそれらを打ち破ってしまうといった感がありました。

逆に勤勉さを失うと、途端に生活も仕事も勉強も人間関係も輝きを失っていったように思います。

まわりに勤勉な人たちがいると、自然に影響を受けて自分も勤勉になっていきます。

が、逆もまた真なりで、怠惰さもうつるのです。

これは会社でも同じで、やる気があってよく働く人たちの集団に“たまたま”入ることができるのは、その人の運の良さでもあります。

しかしながら「歯を食いしばって働く」時代は過ぎ、今は「勤勉を楽しむ」時代へと変化しているように思うのです。

目標は当然設定するとして、その過程を存分に楽しまないとモッタイないのです。

目標達成の瞬間だけが重要で幸福だとすると、それまでの努力がすべてその一瞬のためだけに存在したことになります。

そうではなくて努力の過程を楽しんでいけば、その間ずっと幸せではありませんか。

例えば外国語の習得を例に取るとすれば、語学の勉強は地味で時間もかかります。

心の持ち方を間違えると、それは苦痛以外の何物でもなく、だからこそよく挫折するのです。

が、勉強の過程を楽しんでしまうと、状況が一気に逆転します。

「昨日わからなかったことが、今日は分かる」という成功体験の連続となるわけです。

仕事でも勉強でも趣味でも、自分が好きなことを楽しみながら続けていくならば、成功人生にならないわけがないと思うのです。