多言語修得者

多言語修得者のことを英語でポリグロット(polyglot)と言います。

世界中のポリグロットが集まる会合(イベント)もあるようですが、こういうのに参加すると実に楽しいはずで、私もいつの日にか参加できることを夢見て頑張ろうと思います。

ヨーロッパにいると多言語習得には有利です。

例えばフランス語が母語ならば、スペイン語やイタリア語などのラテン系言語の上達は早いに違いありません。

また英語をマスターしていればドイツ語は簡単です(北ドイツの一方言が英語の源と言われています)。

文法の仕組みが似ていると、言語的な「土地勘」があるため、何となく操作の仕方が分かるといった感じです。

しかしラテン系やゲルマン系等の言語を母語とする人が、日本語や中国語といった異系列の言葉を学ぶのはかなり大変だと思います。

逆に言えば、日本人が外国語を勉強する場合は、いつもハードルが高いということになります。

私は63歳の時にフランス語を、64歳の時に中国語を始めたのですが「老い」のハンディはほとんど感じません(と、自慢するほど上手くもないのですが)。

67年生きてきた中で今が一番頭がいい(というか年々良くなっていく)実感があるからです。

中国語もフランス語も「発音だけはいい」と先生にほめられるので、舌の滑(なめ)らかさも鈍ってはいないように思います。

中国語はイントネーションが難しいのですが、漢字も全部わかるし、文法も簡単だし、マスターできないわけがないのです。

一方、フランス語は発音も文法も全部難しく、私はフランス語のことを「チャーミングなワガママ娘」と呼んでいます。

ワガママだけど、チャーミングなので離れられないのです。

私の語学を学ぶ上での理想の人は、伊能忠敬ハインリッヒ・シュリーマン

2人ともビジネスの世界で大成功を収めたのち、歴史に残る偉業をなしています。

瀧原宮(たきはらのみや)

毎月の伊勢神宮での参拝では、外宮と内宮を回るだけで精いっぱいで、すぐ近くにある他の神社を訪れる余裕がありません。

伊勢神宮は125ものお社の総称なのですが、本やネットで調べてみると、外宮や内宮の周辺だけでも結構たくさんの神社があるのです。

そういったところも少しずつ回ってみたいと思うのです。

先日、内宮と外宮の中間位置にある倭姫宮(やまとひめのみや)へ足を延ばしたところ、あまりの素晴らしさに感動しました。

その時「せっかくこの日本に生まれてきたのだから、一つでも多くいい神社に接していきたい」と心底思いました。

人生は「とんでもなく短い」ので、躊躇(ちゅうちょ)している暇はないのです。

死ぬまでに行っておかないと、下手すると行けるのは「来世(らいせ)以降」となる可能性だってあるのです。

伊勢神宮の別宮である瀧原宮(たきはらのみや)へ行ってきました。

結論から言うとバツグンによかったのです。

瀧原宮は元伊勢の一つで、天照大神は一度この地で鎮座されています。

天照大神の和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)がそれぞれお祭りされ、そのほかに若宮神や長由介神・川島神が祭られているお社がありました。

天照大神以外の神々のお名前は、残念ながら存じ上げませんでした。

私のほかには3名ほどの人たちが、それぞれ1人で参拝に来ていましたが、どの方の二礼二拍手一礼も堂に入っており、神道への思い入れが感じ取られました(神道のベテランですね)。

朝8時に家を出て、帰ってきたのが夕方4時。

かなり濃厚な1日だったように感じます。

最初の鳥居です。

 

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参道にそって川が流れています。心も頭も体も癒されました。

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参道を歩いていくと…

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4つのお社がありました。

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これは天照大神の荒魂のお社です。

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参道も気持ちいいのです。

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人生は途轍もなく短い

最近、大発見をしました。

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それは「人生は途轍(とてつ)もなく短い」ということ。

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前から薄々感じていたのですが、やっぱり人生はムチャムチャ短かいのです。

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何でもかんでもやろうとすると、すべてが中途半端になり、もう「やりたいことを絞る」しか手はないと思うようになりました。

私の場合は「多読」と「語学」と「投資」。

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これらのことを思う存分やって死ねたら、もう何も悔いはないわけです。

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逆に言えば、これら以外のことは「どちらでもいいこと」であり、こだわったり、憤(いきどお)ったりしている時間がモッタイないのです。

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今回のコロナ騒動で、働き方や、生き方や、経営のやり方に大きな変化が出てくると思うのです。最近、大発見をしました。

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それは「人生は途轍(とてつ)もなく短い」ということ。

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前から薄々感じていたのですが、やっぱり人生はムチャムチャ短かいのです。

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何でもかんでもやろうとすると、すべてが中途半端になり、もう「やりたいことを絞る」しか手はないと思うようになりました。

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ひとことで言うと「シンプルライフ」や「シンプル経営」。

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今までは余計なことに振り回され、余計なことに時間やお金やエネルギーを消耗していたのではないかと感じます。

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「やりたいこと」や「好きなこと」に集中していく絶好のチャンスでもあります。

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目標を持つのは大切なことですが、その過程も存分に楽しんでいきたいものです。

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私の目標の一つである「5か国語ペラペラ」だって、思いっきり楽しみながらやっていこうと思うのです。

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10数か国語が話せる北欧女性(どちらでもいいことですが美人でした)の「polyglots(多言語修得者)」についての講演をユーチューブで聴きました。

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特に印象に残ったのが「多言語をマスターした人たちが特別な才能を持っているということはない」ということと、「みんな存分に楽しみながら勉強している」という2つのことです。

私も1日も休むことなく、楽しんでいこうと思っています。

 

 

真名井神社訪問から1週間

宝塚の自宅から、日本海に面した京都府真名井神社まで日帰りで参拝してきたのは、ちょっと自信になりました。

私の運転で片道3時間かかり、ドライブ時間だけで計6時間。

そんなに大きな神社ではないので、参拝にかかる時間は1時間弱ほどでした。

2,000年前に天照大神(アマテラスおおみかみ)が現在の伊勢神宮にお移りになられ、その500年後、豊受大神(トヨウケのおおみかみ)が、天照大神のご要望で、同じく伊勢に移られました(今の外宮)。

豊受大神は、それまでは丹後におられたのです。

毎月、伊勢神宮に正式参拝しているのですが、内宮(天照大神)の時はとても緊張します。

が、外宮の豊受大神は、いつもニコニコしてお迎えしてくださっているような気がして、一度、かつておられたところをお伺いしたかったのです。

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もともと天照大神は(当時は奈良にあった)皇居で祭られていたのですが、そのエネルギーがあまりに大きくなりすぎ「別の場所でお祭りしたほうがいい」ということで、その場所を探す旅が始まりました。

いろんな所を転々と移動され(その都度、神社がつくられます)、最終的には伊勢にお鎮まりになったわけです。

元伊勢と呼ばれる神社がいくつかあるのですが、それは天照大神がそのつど留(とど)まれた場所でもあります。

福知山の元伊勢をお伺いした時は、その穏やかさに心奪われました。

が、丹後の元伊勢である籠(この)神社には(畏れながら)いまいちピンと来るものがありませんでした。

天照大神豊受大神が伊勢に移られたあと、ご祭神が替わっているからかもしれません。

籠神社の奥宮である真名井神社は、まさに豊受大神がおられた場所です。

凛とした雰囲気だったのですが、初めてお伺いしたこともあり(畏れながら)「よくわからない」といった印象を持ちました。

が、行ってから1週間ほどたった今頃「もう一度お伺いしたい」という気持ちが強くしてきています。

 

キャッシュが残る経営

商売をやっていると、いい時も悪い時もあるわけです。

「上り坂」、「下り坂」、そして「まさか」とも言いますが、今回の新型コロナなどは正に「まさか」そのものです。

長い間お店をやっている人から「本当はもう店を畳みたいのだけれど、借入れがあるので閉めるに閉められない」というお話を聞いたことがあります。

店でも会社でも、営業しているうちは自転車操業で何とかなるけれど、止まった瞬間に倒れるというわけです。

親の代から鉄工所を経営していた人がいるのですが、年々売上が減っていき「ここらが潮時」と廃業を決めました。

この人の場合はラッキーなことに土地が自前で、これをマンション用地として売却し、さまざまな債務を整理したあとも手元に現金が残りました。

おかげで老後の目途が立ったとのことです。

サラリーマンの場合は定年退職という区切りがあり、いい悪いは別として「終わり」を意識して働けます。

が、経営者や自営業者は、自分で「終わり」を設定しておかないとズルズルとそのままいってしまうことが多いのです。

それが楽しければいいのですが、赤字が続いたり、多額の借入れがあったりしたのでは、働いていてもちっとも面白くないわけです。

普段から身軽な経営を心掛けておかないと、「まさか」が来た時ひとたまりもないし、逆に“やめよう”にも“やめられない”ピンチに陥ります。

急拡大路線や売上第一主義は、経営者が自分に酔っているだけで、酔いがさめたら大変な事態になっているかもしれません。

小さな会社には小さいなりのメリットがあり、市場の変化にすぐに対応できたり、固定費が低いので生き延びやすかったりします。

売上よりも利益の方がずっと大切で、もっと言えば「キャッシュが残る経営」こそ目指すべき方向だと思うのです。 

 

経済的に不自然な現象

原油は今、サウジとロシアとアメリカが3大産地で、単に経済の問題だけでなく、政治も複雑に絡まっているので“ややこしい”のです。

アメリカのシェール・オイルの原価は1バーレル40ドル~50ドルぐらいと言われているので、それ以下の価格だと赤字になってしまいます。

サウジとロシアの減産の話し合いが決裂し、頭にきたサウジの皇太子が増産という手を打ってきました。

これによって一挙に原油価格が下落。

中国を初め世界経済の動きが低調で、もともと需給が緩んでいるところへ、このコロナ騒動です。

需要がガクンと落ち込んだところに増産したものだから、原油価格にとんでもない現象が起こりました。

一時期、マイナス40ドルになったのです。

これが何を意味するかと言うと、原油が粗大ごみ同然となったということです。

原油が捌(は)けないので、貯蔵庫もタンカーもパイプラインもいっぱいになり、仮に購入しても置いておくところがないという状態のようです。

半分冗談ですが「スタンドでガソリンを入れるとお金がもらえる」状態になったわけです。

原油の値下げは日本にとってはプラスのはずなのですが、なぜかいつも原油価格が下がると株価も下がります。

マイナス金利というのも実に不自然です。

預金すると金利分が取られ、借入れすると金利がもらえるということになります。

ほかに経済的に不自然なものはないかと探してみたら、何と一部の不動産がそうでした。

売価ゼロどころか、お金を出さないと「売れない」不動産が現実に出てきているのです。

例えば地方にあって、もう誰も住まない親の実家などというのは、お金を出さないと処分できないのではないかと思います。

地方の自治体など「ふるさと納税」ならぬ「ふるさと不動産処分」のサービスを始めたらいいのではないかと思うのです。

つまりお金をもらって不動産を引き取るわけです。

 

勉強のチャンス到来

パーティーや大人数の会合が次々と中止になり、何だかホッとしている自分がいました。

少人数で予定していた食事会も取りやめになってしまったのですが、こちらの方はチョッピリ残念で、コロナ騒動が落ち着いたら、またお誘いしてみようと思います。

「男子三日会わざれば刮目(かつもく)として見よ」という言葉があります。

ぼうっとしていた少年でも、何かのキッカケで大変化したり、急成長したりすることがあります。

このコロナ騒動は、まさにその機会だと思うのです。

学校が休校になったり、お店が閉まったり、会社が休みになったりしているこの時期に、家でテレビやゲームばかりで時間を潰すのは廃人への第一歩だと、私など真剣に思っています。

私はテレビを見ないので、コロナ騒動の間も比較的客観的に物事を観察しているのですが、テレビの煽りによって、世の中がちょっと「集団ヒステリー」の様相を呈してきているように感じられます。

新型コロナは武漢の生物科学研究所(細菌研究所)から漏れたものだということは、このブログでもコロナ騒動の初っ端(しょっぱな)に書いています。

また、老人、持病持ち、喫煙者以外は、そう心配するほどのものではないということも本を読んで理解していました。

何も分からないまま、行き過ぎた自粛制裁をしてしまい、経済が重症化することの方が具合が悪いのではないかと今でも思っています。

いずれにせよ、こうなったからには自粛期間中、テレビを消して、徹底的に勉強すべきだと思います。

中学3年生の夏休みに、高校受験のための勉強を猛烈にやり、自信満々で秋を迎えたことを思い出しました。

コロナ騒動が終息した時、ビックリするぐらい成長した自分であろうと思っています。