いろいろな勉強

経済学や簿記は仕事に役に立ったと書いたのですが、逆に仕事に全然役に立たなかったのが「英語」。

しかし英語の勉強をやめようという気には全くならず、ならないどころかドイツ語、フランス語、中国語とその守備範囲をむしろ広めていっています。

仕事は自分の人生の大部分ではありますが、すべてではありません。

仕事以外の自分の活性化という意味では、語学は私にとって相当重要な存在でもあるわけです。

最近ハマり出している「歴史」は、人生の後半戦にはバッチリの知的贅沢だと思います。

歴史はいくらでも幅を広げられるし、いくらでも深く掘り下げることができます。

歴史に関心を持ち出すと、読む本もいっぱい出てくるし、歴史に焦点を絞った「歴史たび」も企画することができます。

博物館だっていっぱいあり、例えば「(明治維新の)霊山博物館」(りょうぜん・京都)や「長久手郷土資料室」(愛知県長久手市)や「江戸東京博物館」(東京都墨田区)など、行くのが待ち遠しいのです。

歴史を勉強すると、いわば「飽きない」のです。

歴史は本での学びと実地視察の両方で、知的好奇心を追求していくことができます。

海外であれば、さらに語学も駆使する必要が出てきて、そのための勉強も存分に楽しむことができます。

歴史のほかに、いま興味があるのが「健康学」や「アンチエイジング学」とも言うべきもので、これもまた本での知識吸収と実際の応用との両方が楽しめます。

「健康」も「アンチエイジング」も正しい方向が見えてきました。

唯物的な対処法ではなく、肉体的、精神的、霊的に正しい方法で、考え方自体もポジティブにする必要があると思うのです。

 

 

この世は勉強した者勝ち

この世の中は「勉強したもの勝ち」です。

が、何を勉強するかによって、その成果や効用が大きく違ってくるのもまた事実です。

学生時代は何を勉強したらいいのかが、実際のところサッパリ分からないのですが、社会人になると自分に必要なことが見えてきます。

いかに社会に出てから頑張るかが、人生の勝利のカギを握っていると思うのです。

私も高校生の時に読書に目覚めてから、ずっと「勉強好き」で今日まで来ました。

大学は経済学部だったのですが、経済学が役に立ったかどうかを振り返ると「かなり役に立った」と言えそうです。

大学教授が「経済学は社会に入ってすぐに役に立つような学問ではない。君たちが会社の部長ぐらいになって、やっと力を発揮する学問だ」と述べていたのを覚えているのですが、確かにその通りでした。

会計学や簿記は自分で勉強したのですが、これらはビジネスパーソンにとって必須の「武器」だと思います。

中小企業の経営者はP/Lには関心があるのですが、B/Sには無頓着の人が多く、これが会社の財務危機を招く原因の一つではないでしょうか。

独学で学んだ「ランチェスターの法則」は、とても役に立ちました。

今までランチェスターの法則を意識して実践したものは、ほぼ成功し、ランチェスターの法則から外れたものは、すべて失敗したように思います。

逆に勉強する機会を逃したものに法学があります。

法律のことを深く知っていたなら、もっと自信を持って行動できたのにという事案は結構あったように思います(と、書きながら「今からでも遅くない!」という内なる声がしてきました)。

学問ではないのですが、中学、高校、大学と柔道をやって来て、これが役に立つシーンが何度もありました。

「男は武道の一つぐらいマスターしておくべきだ」というのは、私の持論の一つです。

 

フェイスブックと語学

ファイスブックで香港や台湾の人たち(余談ながら「写真では」若い女性)とつながり、中国語でメッセージを交換したりしています。

今まで中国語を勉強しながらも「これを活かす場はないよね」と思っていたのが、一気に新しい展開となりました。

気持ち的には「逆転ホームラン」といった感じです。

中国語は発音が難しく、文法が簡単です。

メッセージだけであれば発音はいらないので、ますます中国語が簡単になるというわけです。

日本人の場合、最初から漢字をマスターしているので、欧米人よりも遥(はる)かに中国語学習では有利な立場にいます。

ただし北京語(中国標準語)の場合、略した漢字を使っているので、私のパソコンではそれらの漢字が出てきません。

また、中には日本では全く使われていない漢字もあり(中国語を勉強しだして驚いたことの一つです)、これもちょっと厄介ではあります。

今回の「逆転ホームラン」で語学へのモチベーションが急上昇しました。

これを応用し、ドイツ語圏やフランス語圏の人たちともつながって、各言語を実際に使ってみたい気がフツフツと沸いてきております。

中国語は今のところ、相手が書いてきた文をそのままコピーして繰り返したり、辞書を駆使して騙しだまし返事したりしているのですが、ドイツ語あたりになると結構簡単に文章が作れてしまえそうな気がしています。

ただしフランス語だと二進も三進も(にっちもさっちも)行かず、メッセージのやり取りなんて到底ムリだというのが今の私の実力です。

とりあえず、ネットで「中国語入門」の本を注文しました。

「今月の読破リスト」の中に語学の本が増えだしたら「おっ、頑張っているな」とナマ暖かい声援をいただければ幸いです。

 

中国の歴史にハマる

マンガ『キングダム』を読み、中国史に興味を持ち出しました。

キングダムは「秦」が、辺境の一国家から中国統一に向かっていく時代の話です。

当時、「韓」、「趙」、「魏」、「燕」、「斉」、「楚」、そして「秦」の7つの国があったのですが、秦は他のすべての国を軍事力で滅ぼしていきます。

秦の将軍の1人が主人公で、主人公自身も一番下っ端の兵士から手柄を立てて出世していきます(李信がモデルと言われています)。

教科書では「秦が中国を統一した」の1行で終わってしまうのですが、そこには物凄いストーリーが数多く秘められていることを知りました。

余談ながら、こうして成立した秦ですが、わずか15年で滅んでしまうわけです。

中国を統一した国は「秦」、「漢」、「隋」、「唐」、「宋」、「元」、「明」、「清」、「中華人民共和国」ですが、このうち「元」と「清」は明らかに異民族による支配で、また「隋」や「唐」も皇帝の出自は異民族(鮮卑)と言われています。

「中国四千年の歴史」といっても、途中ブツブツと遮断されていて、全くの別国家になっているわけです。

その点日本は初代神武天皇の統治以来、まだ2,679年の歴史しかありませんが、同じ民族で一貫して継続しています(トップの天皇も同じ血筋で126代続いています)。

日本は独自の元号をずっと使ってきましたが(最初の元号は「大化」で、一番新しいのが「令和」)、独自の元号が使えるのは独立国家だからこそで、朝鮮半島などでは中国の元号しか使うことが許されなかった歴史があります。

日本の危機には神道の神々が素早く動きます。

元寇ではシナツヒコやシナトベの風の神々が神風を起こしました。

唐という巨大国家ができた時、日本は飲み込まれるのではないかと大いに動揺しました。

が、熱田神宮のご祭神が楊貴妃として転生輪廻し、結果、楊貴妃にメロメロになった皇帝玄宗が国を傾けてしまい、日本は支配されずにすんだという話があります。

軽減し、継続する

「多ければ多い方がいい」というのが、今までの日本経済のコンセンサスであり、私自身の思い込みでもありました。

が、量や数を制限するというのも、かなり重要なことではないかという気が、最近強くしてきました(一種の「悟り」ではないかと、自分では密かに思っています)。

月に本を200冊読んでいるのですが、将来250冊にまで増やしたいと、実はちょっと思っていたのです。

が、「ストイック」に200冊で止めておかないと、ほかのことがデキなくなってしまいます。

一往復約200段の階段トレーニングが、極めて有効であることが分かってきたのですが、それも10往復を上限とすることにしました。

これもまた、それ以上すると他のことがデキなくなってしまうし、「もう少しやりたい」くらいで止めておくのが、次に向かってのモチベーションにつながります。

毎日1時間の語学の勉強も(自分の意志で)それ以上することはやめようと思います。

語学の勉強をやっている人はお分かりでしょうが、語学の勉強というのは、時間的にも精神的にもかなりの負担になるのです。

読書でも運動でも勉強でも、一見いいと思えるようなことでも、やり過ぎるのは逆効果となってしまいます。

決まった量を継続的に毎日こなすというのが、どうも「人生勝利のカギ」ではないかという気がしてきました。

数や量を軽減させ、しかし継続させるのです。

基本的には1日も休まずに、今から30年間は続けたいものです。

「本を月に200冊以上読まない」や「階段トレーニングを10往復以上しない」や「語学の勉強を11時間以上しない」と決めると、何だかホッとし、また逆に「やる気」が増してきました。

 

ワクワク人生後半戦

スマホを使いこなせず、ラインやインスタやツイッターにもかかわったことがなく、このまま時代に取り残されていくのではないかという不安がちょっぴりあります。

特にスマホを使って支払いをするのが当たり前のような世の中になった場合、今のままだと生活自体に支障が出てくる恐れがあります。

早い話が、現金を使わない今の中国へ行った時に、ふつうに旅行ができるのかどうかさえ不明です。

かろうじてパソコンだけは何とか使えるのですが、このまま30年間ビジネスや生活がマトモにやっていけるのかどうか、甚だ(はなはだ)心もとない状態です。

が、時代が変わっていっても、いくつかのことはブレずに続けていくはずです。

一つは神道への信仰。

一生、日本の神々をリスペクトしていこうと思います。

死んだあとは高天原(たかまがはら)の門の辺りでウロウロしている可能性が高いのですが、何としてでも中へ入れていただき、神々を崇(あが)め奉(たてまつ)るつもりです。

紙の本で読書する習慣も一生変わらないと思います。

これから30年間、今のペースで本を読んでいくならば、現在のプライベート・ライブラリーの3倍のスペースが必要となりそうです。

これをどうするかは、また追々(おいおい)考えたいと思っています。

「自分は実はお金が大好きだったのだ」ということに気づいたので、生涯お金儲けに勤(いそ)しみたいと思っています。

幸い、どちらか言うと勤勉なほうなので、仕事にも勉強にも精いっぱい頑張っていこうと思います。

バラ色の人生後半戦であることを信じています。

 

フェイスブックで外国語

語学にハマっているのですが、別に外国に友だちがいるわけでもなく、海外でビジネスをするわけでもなく、ならば「なぜ?」ということになるのですが、その答えは私にもよく分かりません。

語学の勉強自体が面白いというのは確かにあります。

「趣味だから」と一言で片づけてもいいわけですが、語学自体を多少何かの役に立てたいという気持ちは当然あります。

フェイスブックでたまに外国人とつながることがあります。

英語でチャットすることはよくあるのですが、先日から、ある中国人女性と中国語でチャットするようになりました。

中国語を勉強しているので、簡単な中国語なら意味が分かります。

また話すよりも読む方が理解しやすいということもあります。

昔は筆談で中国人と「喋って」いたぐらいなので、ふつうに漢字を羅列していけば通じるかもしれませんが、今の中国語と日本語の漢字は随分とかけ離れているのです。

革命後、中国が漢字を簡略化してしまったのもあるし、漢字の持つ意味自体が違っている場合も少なくありません。

また、そもそも日本語では使わない漢字もいっぱいあるのです。

先方から「你的中文说的很棒」というチャットが来ました。

「あなたの中国語は、とても『棒』ですね」ということなのですが、この「棒」の意味が分かりません。

辞書で調べると「なかなかいいじゃん」という意味があるようで、うれしかったし、この「棒」の意味を一発で完全に覚えることができました。

外国人と話す機会なんて滅多にないのですが、フェイスブックを活用すれば、外国語を読み書きするチャンスがいっぱい作れそうです。

また新しい世界が開けそうな気がしてきました。