楽になった分、集中する

ビジネスでも生き方でも「少しでも多く」というのが、今までのやり方でした。

常に今よりも高い目標を打ち出し、それを目指していくのが正しい方法だと思っていました。

が、時代が変わったのか、年齢を重ねたからなのかは、よく分かりませんが、物事には自ずと適正水準があると思うようになってきました。

例えば売上一つとっても、量的な限界というのもやっぱりあるのです。

数字が上がらないからと言って、努力が足らないとは限りません。

売上は市場環境が決めるといった面があり、極めて他律的です。

根性の問題ではないのです。

そんな場合は「売上を上げるにはどうすればいいのか?」に執着するのではなく、「売上が上がらない分、どうすればいいのか?」を考える方が現実的だし、効率的です。

売上が下がっても「営業利益」や「経常利益」や「税引き前利益」が多くなることだってあり、もっと言えば「手残りのキャッシュ」を増やすことだってできるかもしません。

「市場環境の変化に対応して、わが社を変える」というのが経営の要諦ですが、小手先の対処ではなく、内部自体を根本的に変化させるという意味があると思うのです。

デービッド・アトキンソン氏は大きな会社の方が経営力に優れ、経済的な貢献度が高いことを述べています。

私もその通りだと思うのですが、逆に小さな会社は経営力がいらなくていい分、会社のマネジメントに費やすエネルギーを、もっとほかのことに使えると思うのです。

余計なエネルギーを使わなくていい分、経営者が意味のない遊びなどにウツツを抜かすのは論外ですが、本気で面白い会社にしていくことができるはずです。

どんな会社にするのかは「経営・人生統合計画書」に向かってジックリと考える必要があるのですが…。

 

お金のことを勉強する

お金のことをモロに口(くち)に出すのはハシタナイという気持ちがあります。

「武士は食わねど高楊枝」的な感覚がどこかにあり、「お金儲けしたい」とか「お金が大好き」などと言うと、ちょっと浮いてしまいそうです。

が、そういったことも含めて、心のリミッターを外していきたいものです。

お金儲けや蓄財などは、この世的に物凄く大事なことなのに、無関心な人が多いし、学校でも習いません。

やっぱりお金の勉強をしないと、お金は入って来ないし、また貯まりません。

スポーツなどでもオリンピック選手のほとんどは、小学生の時からそのスポーツに取り組んでいます。

始めるのは若ければ若いほど有利です。

投資も同じで、早くから関心を持っていると、それだけ投資マインドや技術の習得が早くなります。

カリスマ投資家には、小学生や中学生の時から(お小遣いを貯めて)株を買っていた人が少なくありません(さすがに不動産投資はムリですが)。

かぼちゃの馬車」の投資家たちを見ると、年収の高い「勝ち組」のサラリーマンがたくさんいます。

が、罠(わな)のある投資で簡単に失敗しています。

本業はスゴ腕でも、不動産投資では小学生レベルといった人が多いのではないかと思います。

勉強も調査もせずに、いきなり億を超える借入れをしての投資は、さすがに無謀と言わざるを得ません。

私は不動産と株以外の投資は一切しないつもりです。

その2つ以外のことまで勉強する時間がないし、「自分が分からないことには手を出さない」のが投資の原則でもあるからです。

そのかわり不動産と株については徹底的に勉強していこうと思っています。

 

ミリタリー

日本の海軍は薩摩藩から生まれ、陸軍は長州藩から生み出されました。

軍隊言葉で「~です」を「~であります」と言いますが、これは長州の方言なのだそうです。

日本陸軍には3人の天才がいるのですが、それは大村益次郎児玉源太郎、そして石原莞爾(かんじ)です。

大村益次郎帝国陸軍の父ともいうべき人で、児玉源太郎日露戦争の立役者、石原莞爾満州国の創設者でもあります。

維新での軍事的成功は大村益次郎なくしてはありえません。

残念ながら暗殺され、45歳で亡くなっていますが、その銅像靖国神社で見ることができます。

日露戦争が勃発した時、誰も日本が勝つとは思いませんでした。

しかしメッケルがいたドイツ参謀本部だけが日本勝利の予想を立てていたそうです。

その理由は「軍事的天才の児玉源太郎がいるから」とのこと。

それほど高く買われていたわけです。

実際、児玉源太郎がいなければ、日露戦争での勝利は覚束(おぼつか)なかったはずです。

石原莞爾も当時から天才として周りから認められていた存在ですが、東条英機と仲が悪く、終戦時は左遷されており、そのため戦犯にはなっていません。

今の日本の軍組織を揶揄(やゆ)した言葉があります。

陸上自衛隊は「用意周到・頑迷固陋(がんめいころう)」で、海上自衛隊は「伝統墨守(でんとうぼくしゅ)・唯我独尊」、航空自衛隊は「勇猛果敢(ゆうもうかかん)・支離滅裂」、ついでに統合幕僚会議は「高位高官・権限皆無」なのだそうです。

 

継続こそ命

私が住んでいる建物には97段の階段があります。

足腰が弱らないようにするために、これを利用しない手はなく、「階段の昇り降り」を毎日のルーティンワークに取り入れました。

階段の電気のスイッチを、センサーによる自動点滅にしたことにより、スイッチをいちいち入れたり消したりしなくてよくなりました。

たったそれだけのことなのに心理的バリアが一挙に低くなり、前から考えていたことがアッサリできるようになったというわけです。

ちょっとした工夫で、やりたかったことが簡単に実現するということを学びました。

往復10回の昇り降りをすることにしました。

そうすると2,000歩ほど歩くことになります。

最上階に行った時に、「壁」腕立て(45度の腕立て)を10回行うことにし、そうすると「壁」腕立てが計100回となります。

運動としては過激でもなく、飽きもせず、なかなか具合がいいのです。

66歳にもなって「ハアハア、ゼイゼイ」するような運動が体にいいわけがなく、心臓や関節に負担がかからず、しかも筋肉に効果がある運動が私にとっては階段昇りだったというわけです。

忙しい日の場合は回数を減らしてもいいので、とにかく続けていこうと思っています。

逆に110往復に制限することが大事だという気が強くしてきました。

調子に乗って回数をいくらでも増やしてしまいそうなのです。

そうすると階段昇りに時間を取られ、ほかのことができなくなってしまいます。

歩いている間に、いろんなことを考えるのですが、毎月読んでいる本の数も200冊に限定すべきではないかという考えが浮かんできました。

200冊以上読もうとすると、やはり時間的に負担がかかるのです。

1日は24時間と決まっているし、生きている時間も有限です。

一挙に強烈にやらずに、淡々と、倦まず弛まず(うまずたゆまず)続けていく生き方こそ、自分に相応しい(ふさわしい)ということを改めて悟ったという次第です。

 

歴史たび

宝塚駅から歩いて2時間ぐらいの山の上に「中山寺奥の院」というところがあります。

そこに「ここを応神天皇武内宿禰(たけのうちのすくね)が訪問した」といった趣旨の看板がありました。

その同じ場所に自分が立っていることが不思議で、その時から一挙に日本古代史に興味が湧きました。

応神天皇は15代天皇ですが、初代は神武天皇

神武天皇以前は神話の世界で、神武天皇の6代前の祖先が天照大神(アマテラスおおみかみ)です。

東名高速道路で東京へ向かう途中、長篠設楽原パーキングエリアがあります。

その周辺で長篠設楽原(ながしの・したらがはら)の戦いがありました。

織田・徳川連合軍と、武田軍との戦いで、これに負けた武田家は一挙に没落していくわけです。

そのパーキングエリアのすぐ近くに織田信長本陣跡があり、簡単に歩いて行くことができます。

高速道路が開通するまでは、その場所は山奥で、辿り着くのに相当苦労した場所だとのこと。

長篠設楽原の戦いの詳細が書かれた案内板があったのですが、一番驚いたのは酒井忠次に率いられた別動隊が山の中を迂回し、武田の山城を攻撃したことです。

その迂回路から見て、たぶん夜通し歩き続けたのではないかと思われます(私なら確実に途中で落後しているはずです)。

実は軍議で酒井忠次が発案した奇襲なのですが、織田信長は即座にその案を撥ねつけました。

が、あとで密かに酒井忠次を呼び寄せ「拒否したのは武田にその案が漏れるのを恐れたためで、すぐに実行してほしい」との指示をしたのです。

歴史的な場所に自分が偶然立ったあと、がぜん興味が湧き、そのことに関する本を猛烈に読んでいくことがあります。

偶然ではなく、意図して行く「歴史たび」を、そろそろ始めようかと思っています。

 

戦国武将

私は生まれも育ちも関西ですが、幼少の頃、豊臣秀吉のことを大人たちが「太閤はん」と呼んでいたのを覚えています。

関西では秀吉への親しみが連綿として残っていたということでしょう。

その記憶が残っているせいか、いまだに徳川家康はあまり好きになれません。

関ケ原の戦いを書いた本を読んでいても、ついつい西軍の方を応援している自分がいます(負けると分かっていても阪神タイガーズを応援するようなものです)。

戦国時代は、各武将の人間力がモロに時代を動かしていく、日本の歴史の中でも一番ダイナミックな時代です。

今の時代でも、一代で会社を築いてきた創業者の中には、どう考えても「前世は戦国武将だったに違いない」と思える人たちがいます。

織田信長49歳くらいで亡くなっているのですが、もし生きて天下を取っていたなら、間違いなく中国大陸へ進出し「明」と戦っていたのではないかと思います。

秀吉は弟の秀長を失ってからおかしくなりました。

秀長というのは地味ですが傑物でした。

少し話がズレますが、平清盛も長男の重盛を亡くしてからおかしくなっていると思います。

戦国武将には様々なツワモノがいて甲乙つけにくいのですが、逆に最低の武将を挙げろと言われれば小早川秀秋が真っ先に浮かびます。

小早川秀秋は秀吉の甥っ子でありながら、家康に籠絡(ろうらく)され、関ケ原の戦いで西軍を裏切り、天下分け目の戦いの決着がついてしまいました。

関ケ原の戦い2年後に亡くなっているのですが、死因はアル中だったと言われています。

西軍の総大将は毛利家だったわけですが、その一族の吉川広家(きっかわ・ひろいえ)が家康と通じていたために、毛利家は十分な戦いができないまま敗者となってしまいます。

結果、中国地方120万石を収めていた大藩から、家康により萩周辺に押し込められてしまいました。

しかし、それが明治維新の遠因にもなっているわけで、その辺が人智では及ばない「歴史の妙」なのであります。

 

 

1日1時間、語学を楽しむ

仕事が忙しい人が、本を読めなかったり、勉強する暇がなかったりするのは当たり前の話です。

ちょっと向上心のある人は、いつも「勉強しなければ」の強迫観念にかられ、苦しんでいることが多いのです。

できなければできないで、挫折感を味わうのですが、これなど全く余計なことです。

私もサラリーマンの経験があり、その時に夜の英会話スクールと簿記学校に行っていました。

残業のない会社だったから行けたものの、それでも一種の体力消耗戦であり、何かのバランスを崩すとガタガタになってしまいそうでした(しかしその時に英会話と簿記の基礎作りができたのも事実です)。

よくビジネス雑誌などで「英語特集」が組まれますが、それだけ英語学習に頓挫する人が多いということなのでしょう。

私の経験で言うならば、語学の独学はムリです。

ちゃんとお金を払ってスクールなどに学びに行かないと、勉強する時間自体が取れないのです。

私は今、オンラインレッスンを楽しんでいますが、これだと通学の間に自宅で勉強できてしまえます。

私のモットーは「1日も休まない」なのですが、語学にもこれを応用させようと思います。

例えオンラインレッスンが予約できない時でも、本で勉強することはできるはずです。

週に6日勉強するのと、7日勉強するのとでは、15%も多く学習できるのです。

長い目で見ると、この15%の積み重ねは相当大きいと思います。

このブログを書きながら11時間、語学を毎日勉強」と、今ここで決めました。