真夏の、伊勢から東京クルマ旅 その2

伊勢神宮での早朝参拝を終え、ホテルへいったん帰ってシャワーを浴び、食事をして、東京へ向かいます。

ホテルは夕食と朝食がついているのですが、いつも夕食は夕方6時から、また朝食は朝9時半に取ります。

夕食から朝食まで15時間半も間が空いているのですが、参拝の関係でこうなるのです。

ナビによると、伊勢から東京までは5時間半ほどで行けることになっているのですが、私が休憩を多くとるのと、東京近辺での渋滞で、今回は8時間半かかりました。

クルマの中はエアコンが効いているのですが、外の温度の表示を見ると38℃になっていたりします。

パーキングエリアで降りるたびに「日本はこんなに暑かったっけ?」と驚くわけです。

今回は東京に着くまでに、1時間ほどの「熟睡休憩」を2度も取ったので、なかなか東京に辿(たど)り着けなかったのも無理ありません。

私はできるだけ一流ホテルを利用することを心掛けています。

やっぱり勉強になるからです。

例えばクルマでホテルに着いた時にドアマンが迎えてくれるのですが、そのドアマンは2度目には私の名前を覚えていました。

本当にびっくりするし、感激です。

車のナンバーで覚えているのかと思ったら、後日タクシーでそのホテルに帰った時、やはり私の名前を呼んでもらい、顔も認識していることが分かりました。

そのホテルにお寿司屋さんがあるのですが、2度ほど行ったら顔を覚えてもらっていて、半年ぶりに行ったのに「いつものでいいですか?」と、前回と同じコースが出てきました。

すべて一流ホテルのなせる業(わざ)です。

スタッフの人たちだけでなく、利用客を観察したり、さりげなくその会話を聞いているだけでも勉強になります。

帝国ホテル東京「鮨源」

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帝国ホテル東京「ランデブーラウンジ」

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真夏の、伊勢から東京クルマ旅 その1

クルマ旅の時は荷物がどうしても多くなってしまい(それがクルマ旅の魅力の一つでもあるのですが)、前日からセッセと荷造りをしています。

ふだんから旅行に必要なものをスーツケースに入れたままにしているので、基本は下着と服と靴と本を追加するだけの作業になります。

で、当日は2つのスーツケースに、2つのリュック(パソコンが入ったものと、本が入ったもの)を抱えて移動するという大そうなことになります。

今回はスタートする前に、いろいろと仕事の打ち合わせをしたり、別の要件が入ったりとかしてバタバタし、いつもとは違う動きになりました。

伊勢に向かって1時間半ほどクルマを走らせた時点で、財布やパソコンを入れた一番大事なリュックを家に忘れたことに気がつきました。

私はどちらかと言うと忘れ物が少ない方なのですが、今回は大チョンボとなりました。

途中から自宅に戻ったわけですが、往復3時間のロスとなります。

クルマを目的地に向かって走らせるのは楽しいのですが、途中で戻るのはとても苦痛だということがよく分かりました。

一見、自分にとって不利な予期せぬことが起こった時には「これは(神さま的に)どういう意味を持っているのだろう?」と考えるクセがついているのですが、今回のことは今のところよくわかりません。

結局、その日に参拝をする時間が無くなり、ホテルに直接到着しました。

次の日の早朝参拝が本番でもあるので「こんなこともあるさ」とすでに心の整理はついております。

* 伊勢外宮神泉

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「次の一手」ほぼ確定

ようやく次の投資案件が明確になってきました。

来年の中頃に投資資金が必要になると思われますが、それに焦点を合わせて資金繰りを練っていくつもりです。

私には少し背伸びする案件なのですが、できるだけムリをしなくてすむように、シンプルライフとシンプル経営でキャッシュを用意していこうと思っています。

投資案件が具体的になったおかげで、私の意識もそれに集中でき、さまざまな投資先に気が散らなくてすむようになったのは大いにプラスです。

シンプルライフと言いながら、一度上げてしまった生活レベルは簡単には下げられないということもよく分かりました。

投資はおカネだけの話ではなく、自分のカラダやアタマへの投資もあります。

例えば本代は明らかに投資であって、これをケチると将来が先細りになります。

また「仕事がデキて、性格もいい人たち」との会食をやめてしまうと、モチベーションやアイデアの低下につながります。

明らかに浪費や消費だけに終わるものへの出費は、もともと少ない方だと思うのですが、もっともっと知恵を絞ったシンプルライフにしなければいけないと思っています。

自分の成長に寄与しない会合などへの参加は「百害あって一利『あり』」で、時間対効率を考えた場合、やっぱり控えた方がいいようです。

資産の入れ替えなどもよく検討するのですが、いったん売って次を買った場合、今の状態よりも効率的に運用できるかどうかは疑問です。

売って損が出る場合は、ムリして売らなくていいような気がするし、売って利益が出る場合でも、わざわざ税金や手数料を払ってまで推し進めていくべきかどうかを考えると躊躇(ちゅうちょ)してしまいます。

不動産でも株でも、一度買ったら、買ったことも忘れて保有していくぐらいが、私の性格から言えば、ちょうどいいのではないかという気もしています。

 

 

寄付は自分に帰って来る(かも)

学生やサラリーマンだった時には、あまり感じなかったのですが、自分が商売をやり出してから気がついたことがあります。

どうもある一定の周期で、損をせざるを得ない出来事やトラブルがやってくるということなのです。

これが嫌で嫌で仕方なかったのですが、案外、潮の満ち引きのような自然現象なのかもしれないと思うようになりました。

例えば、自分の器以上にお金が貯まり過ぎると、それが「うまく」出ていくような仕組みがあるといった感じです。

ある士業の人は、何かそういった予感がする時は、先手を打って引っ越しなどをして、適当にお金を使ってしまうのだそうです。

その人いわく「一種の厄払い」とのこと。

神社仏閣や学校や施設にお金を寄付するのも、有効な厄払いになるのかもしれません。

各地の神社めぐりをしていると、松下幸之助さんがいろんな神社に寄付されてきたことを知りました。

また出光佐三さんが宗像大社(むなかた・たいしゃ)に莫大な寄進をされてきたことはよく知られた話です。

新聞でたまに目にする事業家たちが、それぞれ意外な神社で多額の寄付をしていることも、神社めぐりの間に発見しました。

私の知人が四国の山奥のお寺に、何がしかのお金を寄付しようとしたところ、その前の寄進者の欄に斎藤一人さんの名前が署名されているのを見てビックリしたと言っていました。

昔の戦国武将だって、神社やお寺に多大な寄進をしました。

神をも畏れぬ行動をとる、あの織田信長だって桶狭間の戦いの前に熱田神宮で必勝祈願をし、無事戦いに勝つと、お礼に様々な寄進を神社(神さま)にしています。

その一つが「信長塀」で、熱田神宮で今なお立派な塀が現存しているのを見ることができます。

「寄付をケチらない」というのは、ひょっとしたら(開運に)かなり効果のある方法の一つなのかもしれません。

 

 

令和カラダ改革

せっかく新しい令和の時代になったのだから、それを機に「カラダ改革」を目指しています。

体にいい食べ物を、食べ過ぎない範囲で「よく噛んで」吸収するように心がけています。

いろんな本を読むと、結局は和食が一番体に適していることが分かりました。

ストレッチや筋トレの本を読むと、さまざまな運動の仕方が書いてあるのですが、結局どんな運動でもいいのだということにも気がつきました。

ヒザや腰が痛かったのですが、要は長い間十分に動かしてこなかったからです。

じっくりと動かす運動を続けていると、いつの間にか痛みもなくなり、できなかった正座もできるようになりました。

関節の可動域が極端に狭まっていて、そのままいけば完全に「老人体(老人の体形や動き)」になっているところでした。

関節も動かさなければ錆(さ)びて回転しなくなります。

66歳にもなってボディビルダーのような体を目標にはしていません。

が、弱くなった足腰をもう一度鍛えたいという思いは強くあります。

幸い、我が家は階段には恵まれていて「それを使わない手はないだろう」と、階段の昇り降りを始めることにしました。

スクワットよりも簡単に始められ、また長続きしそうな気がしています。

カラダ年齢が表示される体重計が家にあるのですが、47歳から49歳の間を行き来していました。

それが階段の昇り降りを始めてから、47歳の方に定着しつつあります。

カラダ年齢は体脂肪率と相関関係があるようで、体脂肪率18%だと、カラダ年齢は47歳と表示さます(ちなみに私の体脂肪率は18%~20%)。

もう少し続けていけば、待望の46歳以下も出るのではないかと考えています。

アタマ改革の方は平成から始めており、具体的には多読と多言語にチャレンジしています。

これらが物凄くアタマ改革に寄与していて(自分で言うのも何ですが)頭の調子の良さは過去最高で、今後ますます良くなっていく予感がしています。

 

偉大なる錯覚

1日も休まない」を目指していると、さすがに仕事や勉強や趣味など、すべての面で充実してきました。

20代はデートで忙しかったり、30代は家族サービスをしなければいけなかったり、40代はリーダーとしての重責があったりと、それぞれの世代において大変なのですが、私は66歳なので(申し訳ないけれど)それらからスッカリ解放されております。

つまり自由自在。

自由自在なのですが、神さまから与えられた貴重な時間をつまらないことでムダ遣いしてはいけないという気持ちが強くあります。

昔は潜在意識の活用の仕方があまりよく分からなかったのですが、それでも「こうなりたい」とか「これが欲しい」とかいった夢を紙に書いていました。

今から振り返ると、やっぱり実現していることが多いのです。

唯一、会社の形態だけは大いに違っており、もっと大きな会社になっているはずでした。

が、これだって、今の会社の状態(小さな会社)の方が私にとってはずっと快適で、また経済的にも安定しているように思います。

1日も休まない」と言うと、何か大変なように感じますが、要は好きなことしかしないのだから「1日も心底(しんそこ)休みたくない」のであります。

物事を成就させる一番大きな要因は「やる気の継続」なのは間違いがないと思うのですが、それプラス「潜在意識の活用」があれば、もう鬼に金棒なのであります。

私の地下図書館には2万冊の本がありますが、英語の本となると150冊程度ではないかと思います。

私の「やることリスト」の中に「英書(英語の本)を1万冊読む」というのがあります。

が、書いているだけで、まだ本格的には読み始めていません。

仮に12冊ずつ読んで行けば「わずか」15年ほどで達成してしまえます。

日本語の本でも、最初「12冊読む」なんて目標を立てた頃は「ちょっと法螺(ほら)を吹きすぎかも」と思っていたのですが、今は17冊を現実に読んでいます。

そうすると英書だって、12冊なんて「謙虚に」目標を立てているのですが、もう5年もすればアッサリ「17冊」読んでいる可能性があるような気もするのです。

できるかどうかは実際分かりませんが、この錯覚が潜在意識の世界ではとても大切だと思うのです。

 

投資はケチらない

ひたすらおカネを使わずにケチに徹するというのも、あまりよくないような気がします。

観察していればすぐに分かるのですが、ケチな人はやっぱり魅力がないのです。

おカネを使う使わないが問題ではなく、要はその使い方が重要だということなのでしょう。

同じおカネを使うにしても、消費か、浪費か、投資かによって、おカネの活き方が違ってきます。

私はできるだけ投資におカネを向けていきたいと思っています。

経済的な投資だけでなく、自分のアタマにもカラダにも投資していくつもりです。

経済的な投資については、不動産と株に絞りたいと思っています。

それ以外の投資は知識も経験もなく、失敗する確率が高くなるからです。

不動産にせよ、株にせよ、「売った、買った」のせわしない動きはせずに、一度買ったなら、それをジックリと育てていくような気持ちで接したいと思っています。

例えば所有コインパーキングを自分たちの手で掃除して回っているのですが、そうすると愛着が湧いてきて、具合の悪いところはすぐに気がつくし、活用への知恵も湧いてきます。

株でも株価の上下に一喜一憂していては、本業に差しさわりが出てきます。

株の本の半分以上はチャート分析の本なので、私にとっては読まなくてもいい本になります。

株は売れば4日間で現金になります。

ただし小型株であると、何かの経済的ショックが生じた時に、相場が成り立たず、すぐに売れないケースが出てきます。

私の場合は本業が不動産業なので、いい不動産が市場に出た時には、株を売って、その物件をすぐに買う必要に迫られる場合があります。

従って私の所有株は(換金化しやすい)一部上場の大型株に限られます。

ついでに言うと、配当利回りが高く、有利子負債が実質ゼロの株のみを買っています。

本代や、勉強になる人たちとの会食代はケチらないのですが、それ以外の遊興費は大いにケチります(と言うか、全く興味がありません)。