『記者、ラストベルトに住む』

『記者、ラストベルトに住む』という本を読みました。

アメリカの荒廃した地域に住み「そこの住民たちが何を考えているか?」を取材したいとの動機から、新聞記者が試みたものです。

どうしてラストベルトでトランプが盤石の支持を得ているのかを調べたかったのが一番の理由です。

著者は朝日新聞の記者で、インテリでもあるので、本音はアンチ・トランプであることは間違いがないのですが、自分の好悪を出さずに、淡々と取材していく姿勢には好感が持てました(私が知っているインテリの外人は、全員アンチ・トランプです)。

ラストベルトとは「ラスト=錆びた」と「ベルト=一帯」を意味します。

かつて製造業で栄えたラストベルトは、製造業の斜陽化とともに”みるみる”うちに寂(さび)れていきました。

アメリカ人は若くしてリタイアすることを好みますが、高校を卒業し、地元の工場で30年間働いて、50歳前に引退して悠々自適の生活を送ることが、かつてはブルーカラーでもできたのだそうです。

ところが工場がどんどん閉鎖になった結果、働く場所を見つけられず、低学歴の白人たちの生活が一気に荒んでいきました。

中年白人たちの間でもドラッグが蔓延し、高校の同級生の何人かが毎年なくなっていくというインタビューもありました。

写真も多数載せられていたのですが、中年白人男性たちは職もないのに肥満していて、違和感がないと言えばウソになります。

今まで地元で民主党の有力運動家だったような人でも、トランプ支持に乗り換えた話も出ていました。

絶望感の中で、トランプ候補が救世主のように見えたのでしょう。

低学歴、低教養、低所得の白人たちが取り残されたラストベルトは、ニューヨークや西海岸とは全く違う世界なのだということもよく理解できました。

 

 

負けない経営

戦時中、私の母は中学生くらいでした。

その時に、父親が新聞社に勤める友だちがいて、その子が「今度の戦争は、どうも日本が負けるようだ」と言ったとのこと。

それを聞いた母は「絶対にそんなことはない」と強く否定したそうです。

毎日「大戦果あり」の放送を繰り返していた大本営の発表を信じていたからです。

自分たちに不利なトンデモない情報を聞くと、それを受け入れることができず、全面的に拒否反応が出るのが普通なのかもしれません。

1989年を頂点とするバブルの最中、私はある不動産会社の経営者と食事をしました。

その人が「もうすぐバブルがはじけ、大倒産時代がやってくる」と言うのです。

なにせバブルで浮かれ切っていた時代だったので、俄(にわ)かには信じられませんでした。

ものすごくよく勉強している人だったので、私もその人のことを尊敬していたのですが、バブル崩壊の話だけは信じることができませんでした。

その時にイタリアレストランに連れて行ってもらっていたのですが、話があまりに衝撃的だったので、料理の味がしなかったことを覚えています。

それから数カ月後、その人が言ったとおりに、日本経済がガラガラと崩れていきました。

私にはその音が聞こえたほどです。

不幸の予言は誰も聞きたくないわけですが、それを聞いて対策を練っておけるぐらいの余裕を持っていたいものです。

あまりに全力でバブルに乗っていると、途中で降りられなくなってしまいます(経験済み)。

また会社を大きくし過ぎていたり、借入れが過大だったりする場合は、自分の意志だけでは止められないことも少なくないのです。

「銀行に見放されたら倒産」とか「社員が(大量に)辞めたら崩壊」とかいった状態だと、いつもビクビクしておかなければなりません。

その点、無借金だと前者の心配はないし、家族経営だと後者の不安もありません。

 

 

 

モノを捨てると人生が好転する

仕事や勉強に打ち込んでいると、ムダなお金を使わないという意外なメリットがあります。

仕事や勉強で実力を蓄え、ついでにお金も蓄えておくならば、いざと言う時に、それが大きな自信となることは間違いがありません。

自己顕示欲を満たしたい人は、鉦(かね)や太鼓を鳴らしながら歩いて行くようなことをしがちですが、そんなことをすれば人が集まって来て前へ進めなくなってしまいます。

1人静かに歩いていく方が、ずっと早く目的地に到着することができます。

重い荷物を担ぎながら歩きたくなければ、シンプルライフにすべきです。

シンプルライフには余計なものを持たないという原則があります。

ただし持たないのは「余計なもの」であって、お気に入りのものを手放す必要はありません。

モチベーションが高まるモノや、ワクワクするものや、ときめくもので囲まれた生活は、上質で贅沢(ぜいたく)です。

大量の安物を持つのではなく、少数の一級品を大事に使っていくべきだと思っています。

つまらない雑用で時間を消費したり、そもそもやる必要のないことを一生懸命やっていたりすると、人生のコアに使う時間が無くなってしまいます。

「やるべきこと」や「やりたいこと」ができないのは、余計なことで少しずつ時間を消費してしまっているからです。

余計なことにお金を少しずつ消費することを「ムダ遣い」と言います。

お金も時間も本当に大事なところにボンと使いたいものです。

シンプルライフはモノを捨てることから始まります。

モノを捨てないと整理整頓すらできないのです。

まともな掃除だってできません。

整理・整頓・清掃ができると、明らかに運気が上昇していきます。

「モノを捨てると人生が好転する」と言い切ってもいいかもしれません。

 

 

やっぱり夢は実現する

ある人が、年収1億円の人と会う約束をし、どんなにオーラを放っている人だろうかと心待ちしていたそうです。

しかし実際に会ってみると、何の変哲もない男性で、ちょっと「池乃めだか」さんに似ていたとのこと。

その「池乃めだか」さんいわく「自分はお金持ちになると錯覚することが一番大事」なのだそうです。

人生のシナリオの原作者は自分自身なのです。

それさえ理解できれば、自分がやりたいことや、なりたい自分を自由自在に描いていけばいいだけの話になります。

このブログでも何度も書いているのですが「夢は書けば実現する」のです。

箇条書きでいいから、欲しいものや、行きたい所や、やりたいことを書いてしまえば、後日(半年後か1年後か2年後に)その紙を見直したら、もういくつか(あるいは大半が)実現していることを発見するはずです。

書くことによって、自分が何を望んでいるのかがハッキリします。

そうすると自分もそれに向けて集中していけるし、潜在意識だって喜んで協力してくれるはずです。

夢を書く場合、「アメリカの大統領になる」とか「大相撲の横綱になる」なんてことは、まず書きません。

逆に言えば、実現することしか書かないわけです。

もっと言えば、書いたことは実現してしまうというわけです。

また大切なのは、書いた夢が本当に「ワクワクするのかどうか?」なのです。

案外、義務感のようなもので夢(と、おぼしきもの)を書いていることがあり、例えば自分の夢ではなく親の夢だと、やっぱり全然ワクワクしないわけです。

私は「経営・人生統合計画書」に「やりたいことリスト」を書いているのですが、もう既に実現したものを緑字で、実現中のものを青地で、どうしても実現させたいものを赤字にしています(その他は黒字)。

夢実現に向けての自分の努力を存分に楽しむつもりだし、潜在意識が夢を実現させてくれるのを待つのも、また楽しみというわけです。

 

旅人人生

宮崎正弘さんという本の著者がいます。

私の「この著者の本は全部買う」の一人で、多分この人のすべての本を持っていると思います。

中国の現況を書いた本が多いのですが、著者自らが現場に赴(おもむ)き取材しています。

旅好きということもあるのかもしれませんが、例えば中国の新幹線は悉(ことごと)く乗ったそうです。

中国語にも堪能で、新聞には載らないようなことも本には書かれており、この人と一緒に会食をしたら、さぞかし面白くてたまらないだろうなという気がします。

中国関連だけでなく、先日は明智光秀のことを書いた本まで出ました(例によって明智光秀に関連する場所は全部回ったそうです)。

「旅」、「語学」、「執筆活動」など、そのどれをとっても私の興味あることばかりです。

人生の後半戦を「長谷川慶太郎」路線にしようと思っていたのですが、「宮崎正弘」路線に変更するのもアリかもしれません。

私の知人で、東京都港区麻布で居住と事務所を兼ねたマンションを持ち、1年の3分の2を海外で旅している50代独身男性がいます。

それもバックパッカーとかいった貧乏旅行ではなく、ファーストクラスや5つ星ホテルを利用した旅です。

若い頃から働いたり投資したりして築いた資金が旅の原資でもあるのですが、ふつうの人とはちょっと異次元の生活です。

人生後半戦の私にとっても、英語、ドイツ語、フランス語、中国語、ついでに関西弁を駆使して、テーマを持って海外や国内を旅するのは、十分に魅力的な目標たり得ます。

「旅ばかり出ずに、本拠地(本業の場所)をシッカリと固めておかなければいけない」という気持ちがどこかにあるのですが、案外これが行動を阻止する「心のバリア」になっているのかもしれません。

根拠のない思い込みを打ち破っていくというのが、私の新しい生き方でもあるので「旅人人生」を本気で考えていこうかと思っています。

「旅をしているか、本を読んでいるか」のどちらかなんて、なかなかクールなのであります。

 

 

好きな仕事を、好きな場所で

何かの参考になるかもしれないと、定年後のアドバイスを書いた本を読みました。

それによると、定年後一番大切なのが何と言っても健康で、その次がおカネ(経済的安定)、そして家族、趣味と続きます。

サラリーマンの場合「退社前」と「退社後」は、勤務する会社があるか否かという大変化があります。

が、私のような小さな会社の経営者は、そもそも定年がないし、やる気と健康体さえあればいつまでも働くことができます。

自分の小さな会社なので「老害」と呼ばれる心配もありません。

休日も平日も、昼も夜もほとんど関係なく、1日も休まずに仕事や勉強をしていこうと思っています。

1日も休まず」というのが極めて大事な要素で、1日も休まず働いて年収が1億円を突破した人を何人も知っています。

私の場合は「95歳までバリバリの現役で働く」と口では「謙虚」に言っていますが、本当は100歳を超えても働く魂胆です。

願わくは、死ぬ前日まで働いていたいですね(これを大往生という)。

最近「一人税理士」や「一人経営者」や「ノマド投資家」などの本がよく出ています。

それに対応したシェアオフィスも普及してきました。

労働時間の短縮だけを「働き方改革」と呼ぶのではなく、「好きな仕事を、好きな場所で、好きな時間で」働くという、根本的な改革(革命?)が起ころうとしているのかもしれません。

また仕事というのは、モチベーションも含めて、なかなか一人でできるものではありません。

やっぱり「気のいい働く仲間たち」が欲しいのです。

「好きな仕事に一生懸命!」なんてカッコいいじゃありませんか。

 

 

心穏やかに株式投資

株式投資には「グロース株」投資と「バリュー株」投資とがあります。

 

グロース株とは成長株のことで、新規公開株や新興株の中から今後飛躍する株を見出すのは、それ自体とても面白い作業かもしれません。

私は2冊の株式投資専門の雑誌を購読したり、3人の専門家の有料アドバイスを申し込んだりしていますが、概ねすべて「今後上がる株」の銘柄選びに終始しています。

株の値動き(チャート)のみに焦点を当てて研究している人も多く、投資先の会社の事業内容や財務状態には全然関心がないことも少なくありません。

「そういった内容はすべて株価に織り込み済みで、今更研究する必要もなく、値動き自体を研究する方が余程儲かる」と言われると、反論の余地はありません(それがいいとか、悪いとか言っているわけではありません)。

江戸時代からコメの相場を研究し、相場のクセを見抜いた「酒田五法」というのがあります。

それは株にも応用でき、今でも生きている法則で、「ローソク足がこうなったら、こう動く可能性が高い」といったことが分かるのです。

一種の統計学であり、ちょっと易に似たところがあるかもしれません。

また、あるプロの株アドバイザーからは「2番底をつけてから、本格的に上昇するのが相場のクセ(傾向)」といったことを学びました(逆に、2番天井をつけてから、本格的に下落します)。

が、日々の相場に一喜一憂していると、心穏やかではないのです。

本業に気持ちが集中しないのです。

従って私自身は「グロース株投資」を早々にギブアップしました。

株で「勝つ」、「負ける」なんて言葉を使っている時点で、すでにギャンブルなのです。

きれいごとを言うつもりは全くないのですが、株で「勝った」ところで、その社会的意義を見出すことができません。

競馬で勝ったのとどう違うのでしょうか?

配当がいい株を、貯金代わりに、少しずつ買い増していくぐらいが、本業を持っている人間にはちょうどいいのではないかと思うのです。